今週のお題「これに影響を受けました!」
小学生のある時点までは「よいこの児童文学」中心の生活でしたが、戦争に関係のある2冊に出会ってからは徐々に「ノンフィクションしか読まん!」になりました。それ位、影響力のあった子供時代に出会った本を紹介します。
◎ベトナム戦争(1955-1975)◎
「アンネの日記」が先のような記憶だけれど、小学4年生頃「ベトナムのダーちゃん」に出会って衝撃を受けました。ダーちゃんたちが住んでいる村がアメリカ軍に襲撃され皆殺しにされるシーンの描写が生々しく、頭上を飛び交う銃弾、火薬の匂い、うめき声、血の海を思い出すことが出来ます。ダーちゃんは襲撃から生き延びますがその後、妹とはぐれてしまいます。1975年、1992年に著者の早乙女勝元さん(故人となられました)はダーちゃんと再会されたそうです。ダーちゃんは妹とも再会できたのこと。1994年1月に映画化されました。ベトナム人の自由はベトナム人が勝ち取ったと思う。強い人たち。
◎第二次世界大戦(1939-1945)◎
「アンネの日記」(皆藤幸蔵訳)に出会ったのは小学5年生だったと思う。思い返せば、まだこれを読むには私は幼かった。この頃に出回っていた日記は完全なものではなく、その後幾度か改訂されていく。完全版が出たのは1994年、さらに1998年に増補新訂版が出版されたと記憶している。1994年はアンネたちフランク家とファン・ペルス一家(日記の中ではファン・ダーン)らを支えたミープ・ヒースの「想い出のアンネ・フランク」(Anne Frank Remembered)やアンネの友人のひとりだったジャクリーヌ・ファン・マールセン(日記の中ではヨーピー)による「アンネとヨーピー」も刊行されました。
アンネのファンとして長年気になっていたのは「隠れ家の住人」たちがゲシュタポに逮捕されてから死を迎えるまでどのような日々を過ごしたか、でした。「アンネ・フランク最後の七か月」には彼女の人生のどこかで接点が合った女性たち数人の証言が残されています。その中で衝撃だったのはアンネがとうに亡くなっているだろうと思い込んでいた親友のハンネリ(日記ではリース)がベルゲン・ベルゼン収容所でアンネと再会し、生きてオランダへ戻り、イスラエルに移住したこと。(アンネの父オットーは彼女のイスラエル行きを一度止めている)ハンネリは2022年秋、ハマスによる音楽フェスティバル襲撃事件の約1年前に94年の生涯を閉じました。
ドキュメンタリー「想い出のアンネ・フランク」より
ベルゲン・ベルゼン収容所跡にてハンネリの証言(1994年頃)
子どもの頃に読んだ「アンネの日記」の登場人物たちがドキュメンタリーの中で証言する姿を見て、「あれは過去のことではなく、現在も続いているのだ」と確信したことを憶えています。数か月後、アムステルダムへ飛んだ。ヨーロッパが大寒波に見舞われた冬のこと。何か説明し難い強い思いに突き動かされて旅に出た先は、ウクライナのオデッサとオランダ・アムステルダム。共通しているのは何だろう?どちらもユダヤ人が多いことかもしれない。ちなみにアンネの父オットーはソ連軍によって収容所から解放された後、オデッサに一時送られていました。
戦争に関する本に出会うまでは人畜無害な子ども向けの書籍ばかり読んでいたのですが、(半分は母親からの押し付け)この2冊(アンネの日記、ベトナムのダーちゃん)の影響は大きく、次第にノンフィクションばかり読むようになっていました。事実が知りたい、真実が知りたい、それだけ。想像の世界でモノを書くことを否定しないけれど、人生経験の浅い者には多くの人の心を動かす深いものは書けない。フィクションをたまに読むこともあるけれど、惹きつけられるものを書いている人の人生は過酷なものであることが多い。それって音楽にしても絵画、その他の芸術においても同じだと思う。そこは譲れない。どこかで見たような量産型ポエマーに騙される人はそういない。少なくとも真に優れた作品の価値がわかる者には。
21世紀に戦争なんかやめてくれよ(-_-)
私の帰る場所がなくなってしまったじゃないか!


