今週のお題「コーヒー」

もともと紅茶派だった。今ではなぜか紅茶よりコーヒーを好むようになった。写真のカップとミルクピッチャーは前回のロシア旅行で購入したもの。ほんとうはティーポットも買いたかったのだけど、大きすぎて断念。
今ではコーヒーは珍しくないが、かつてのロシアは紅茶の国だった。「お茶飲む?」が合言葉位だったし、お茶の時間は大切にされていた。カフェやレストランではコーヒーも飲めたのだろうが、ソヴィエト崩壊前後の日々の中で私はコーヒーにお目にかかったことがなかった。ある1日だけを除いては。
これと同じサモワール持ってます(*'▽')ホフロマ柄だけど↓
ピアノを譲ってくれると言う夫妻に会いに行ったときのこと。もてなされたのはコーヒーとチーズだった。そのコーヒーも私たちが普段目にするような淹れ方ではなく、トルココーヒーを淹れるような小さな鉄製の鍋に粉を入れて煮出し、その上澄みをいただくというものだった。その淹れ方にも驚いたが、甘いお菓子の代わりにあの独特の蝋のような食感の塩気の強いチーズと共にいただくなんて、、はじめは目が点になっていた。しかし、その組み合わせは絶妙だった。ハマるということはこういうことか、とさえ思った経験だった。
それから帰国してコーヒーとチーズの組み合わせを楽しむようになった。しかし、合うチーズはなかなかない。日本産のプロセスチーズではだめなのだ、かといってブリーチーズでもない。カマンベール、エメンタール、常温に戻したゴーダチーズが合うと個人的に感じている。
◎コーヒーの後のたいせつな余談◎
ピアノを譲ってくれたご夫妻は科学者と数学者のロシア系ユダヤ人で、まさにあの時イスラエルへ移住する直前だった(1991年)。アメリカかイギリスに移住を希望していたが、ロシアでしていた仕事と同じポストに空きがなく、招待のあったイスラエルに決めたのだそう。あの年齢(当時50代)で事実上何世代にも渡ってロシアで暮らしてきた一族の最後のひと家族が何もかも捨てて母国を後にするということは一体どういうことなのか、平和ボケのもやしレベルの日本人のひとりとして考えさせられた。あのひとたちは一体どうしているだろう。
譲っていただいたアンティークのピアノはご夫妻の希望通り(弾いてくれる人に譲ってほしい)、私がロシアを後にする前に音楽家に譲りました。私には音楽家の直接の知り合いはいませんでしたが、仲の良かった同僚の夫がボリショイ劇場管弦楽団の団員だった。しかもユダヤ人。これも何かの縁であり、運命なのだとしみじみした。
Kees Koudstaalチャンネルよりお借りしました
ベートーヴェン ピアノ協奏曲「悲愴」
演奏:ペトラ・ソムライ
ここで演奏に使用されている楽器はフォルテピアノ(18-19世紀の鍵盤楽器)。1795年ウィーン製。私が彼等から譲り受けたのはその約100年後1890年同じくウィーン製のピアノだった。アップライト型で金の燭台、象牙の鍵盤でした。