50の手習い

大人バレエ・語学学習を中心とした徒然日記

約30年前のご近所さん◎生活記録◎10月第1週

アドミララ・フォーキナ通り4番地、ウラジオストク

 

放送大学2024年2学期が静かに始まりました

 

 

放送大学に入らなければロシア語に再び触れることはなかったと思う。

最後のロシア旅行となった2019年の不思議な出会いについて書いておこうと思う。

 

2019年10月12日のこと。ウラジオストク出発前、成田空港に近い宿に前々泊した。日本でラグビーワールドカップが開催されていたさなか、超大型台風が関東を直撃したあの時だ。出発日が晴れていても成田に近づけなくては困るから仕方なく。そこでたまたま出会った初老のロシア人女性と話していたら、彼女はモスクワ住まいだと言う。何の気なしにどの地区か聞いてみたら、彼女は昔住んでいた地区について語り出した。

 

彼女:今はアエロポルト駅の近くに引っ越してしまったんだけどね、昔住んでいたのは「Tの長屋」って呼ばれていた歴史的建造物の隣なの。

 

トルストイの長屋」こと「アレクセイ・トルストイの家博物館」

goslitmuz.ru

 

なんとそこは私の元同僚が住んでいた建物だった。

 

私:A.T通りにありましたよね?今はSP通りの。

彼女:よく知っているわね。来たことがあるの❔

 

私は元同僚の話をした。

 

彼女は元同僚とは知り合いではなかったが、その当時生まれたばかりの赤ちゃんを連れていた落ち着いた年齢の暗い髪と茶色い瞳の女性とがっちりとした体型の男性を見かけたことがあると言った。だぶん、元同僚夫婦だ。

 

私も彼女と同じ地区に住んでいたことを話すと、話は盛り上がった。私が住んでいた家の斜め前に当時は電話局があった。ある夜、そこに雷が落ちたのだ。私の家の電話はしばらく不通になった。

 

彼女:うちの電話も不通になったわよ(;´∀`)

 

私たちは大笑いした。

 

台風が去った翌朝、彼女は「帰国便がどうなるかわからないけど、とりあえず行く」と言って成田空港へ向けて出発した。宿の玄関で私たちはお別れした。

 

なんとも不思議な出会いだった。

約30年前、あの建物の中に私も彼女もいたのかと思うと。印象的な旅の始まりだった。

 

◎おまけ◎

 

同じ成田の安宿で台風から難を逃れたフィリピン人のモナちゃんは言った。

 

なーんで日本のパスポート最強なのに、ビザが要る国に行くの?

面倒くさいじゃない(;´∀`)

 

私は「面倒くさいから行くのよ」と答えたらモナちゃんとアメリカ人のシンディちゃんが不思議そうな顔をしていた。わかんないよね。

あの二人は今頃どうしているかね~

 

そうそう、台風の影響で帰国便が取れず1週間も日本に留め置かれることになったシンディちゃん(50代)は自身の「バースデイパーティーに間に合わない!」とずーっと悲しんでいた。それに比べていつ出国できるかわからないロシア人たち3人は(老若男女)は終始冷静だった。

 

シンディちゃんがアメリカ人は打たれ弱いのよ~」と言いながら泣いていたのが印象的だった。そりゃ、そうだろうよ、と。でもね、

 

ロシア人から言わせれば

「それも運命」

で済んでしまう。

 

人によるかもしれないが、生まれ落ちる場所でああも違うものかと考えさせられた興味深いできごとだった。

 

◎学習記録◎

  • 面接授業の予習
  • 放送授業 障害者・障害児心理学
  • Duolingo ウクライナ語、フランス語、ラテン語、英語